34歳で新米パパになった男の奮闘記

男の子のパパになり早1年。趣味は車と音楽と(子育てといいたい)。趣味や育児について父親目線で書き連ねていきます。

虐待に見る、叩くという教育方法

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教師が生徒を叩いた動画が流出したというニュース。接客や対人業務をやっている人なら、少しは思うところがあるんじゃないでしょうか。今回はこの件を元に、いろいろと考えてみたいと思います。

怒りを妄想に変換…

理不尽なクレームや対応を迫られる時ってありますよね。自分はついカッとなって、相手に対してめちゃくちゃに言い返して、その後の仕事なんかもうどうでもいい、退職したっていい、ぐらいに言っちゃう・・・という妄想をします(笑)その後、しばらく考えて、妄想通りの行動に出なくてよかったな、と思い返します。最近は、起きたことをポジティブに捉えてみようとも思い、この出来事があったから、次回に活かせるという風にも考え始めました。

自分の立場だと、仕事上のお客に対してだけではなく、上司や部下に対してもフツフツと沸き起こることがあるので、尚更前向きに捉えるように今は心がけています。

アンガーマネージメントとは違うかもしれませんが、脳内の妄想を現実でいくと、きっと何十回と転職してるような気がします(笑)

 

ニュースは動画の流出から徐々に、擁護したコメンテーターへの批判にシフトしているようです。確かに、暴力はいけないと思います。では、なんで暴力はいけないんでしょう。深くそこまで突っ込んだ説明をしている方はあんまりいないのかな、と思います。(ちゃんと全部のニュースを見てないので、言ってる人がいたらごめんなさい)

 

禁じ手として成立している「暴力」

力で強弱を決めていた大昔と違い、現代では叩くなどの暴力行為はいけないことであると教えられて育ちます。周囲も含め、日本だけではなく、基本的には地球全体に住む人間の共通ルールであると思われます。ということで、深層心理の中に、叩くという暴力行為は「禁じ手」であるというのがインプットされている状態ではないでしょうか。(暴言などによる精神的虐待はまだここまでは周知されていないとも思います)

そして、何かのキッカケでこの禁じ手を発動してしまった人間には、この禁じ手は相手に対して、かなり有効であり、簡単な手段であると覚えてしまうのだと思います。虐待やDVを繰り返してしまう方には、この非常に簡単で有効な手段に甘えてしまう弱さがある気がします。勝った時の気持ち良さを忘れられないギャンブル依存にも似たようなものでしょうか。

 

連鎖

さらに、この禁じ手を受けた相手は、未熟な方であるほど、この禁じ手を受けたことで「禁じ手を覚えてしまう」と思います。ここにあるのは暴力が連鎖していくということです。

ここは声を大にして言いたいのですが、これは全員に当てはまることではないです。受けた暴力を反面教師にする方もいます。虐待を受けた経験のある方が、かならず自分の子に虐待をするとも思っていません。あくまで、(年齢や精神的に)未熟な方がそういう連鎖を起こしてしまう可能性が高いと感じています。

 

ここまでは全て自分の考え方です。違うよ、と言われるかもしれませんが、自分の経験で感じ取ってきたものから、こんな考えに至っています。仕事柄、叩く方と接する事が多いのですが、おおよそ叩く方は(だいたい親御さんから)叩かれてきたという現実があります。あまり詳しくは書きませんが、こういった経験を踏まえて、連鎖が起こっているのだと考えています。

 

自分が学生の頃

自分が中学生ぐらいの頃、いじめ問題と肩を並べて、暴力を働く教員への大きなバッシングが世間を賑わせていました。小学生までは、普通に先生が叩いていたのに、中学生になった頃に急に先生が弱くなったと感じました。小学生の頃は、普通に定規でバシバシ叩かれていましたが、親がそれに対して何か言うということもなかったのと、叩かれた生徒が怪我をするということもなかった気がします。確かに、めちゃくちゃ痛かったし怖かったんですけどね・・・。しつけとして成立していたのであれば、ある意味では怖い時代であったと思います。

 

あの学校の件について

例の学校のニュースに関しては、報道されている事が事実であれば正直生徒も悪いと考えます。先生も、耐えに耐えた末の結果だったのかもしれません。でも叩いたのは悪かったと思います。先生という立場であることと、やっぱり連鎖を生むんじゃないかと考えるからです。誰かがワイドショーで言っていたように、大人を舐めるな、という意味で、暴力以外の選択肢で生徒に対しての何らかのペナルティがあっても良いのかなと思います。その為にも、悪意のある生徒の行動と、本当に罪のない生徒に対して暴力行為を行う先生の行動を見分ける第3者的な立場の人間が教育の現場には必要なのかなと思います。それはやっぱり行政が仕組みを作らないといけないし、このままだと教育の現場の成り手が減る一方じゃないかな、と考えます。

正直、難しい問題だけども、なぜ暴力がいけないのかを自分なりにまとめてみたブログでした。